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2006年01月01日
茨城県の合併その13 下妻市&常総市
こちらが合併前の地図。下妻市と結城郡の千代川村の二市村、水海道市と結城郡の石下町の二市町がそれぞれ編入合併します。これで結城郡で残るのは八千代町だけとなります。
こちらが合併後の地図。人口は下妻市が4万6千人、常総市が6万7千人となります。どちらの市も当初取り組んでいた合併の枠組みが破綻して誕生した市ですが、下妻市はともかく常総市はちょっと歪な気がします。
投稿者 sai : 00:49 | コメント (0) | トラックバック
福島県の合併その7 伊達市&南相馬市
こちらが合併前の地図。伊達郡の伊達町・梁川町・保原町・霊山町・月舘町の五町、原町市と相馬郡の鹿島町・小高町の三市町がそれぞれ新設合併します。
こちらが合併後の地図。人口は伊達市が6万9千人、南相馬市が7万3千人となります。
伊達市の合併には感慨深いものがあります。それというのは、地元であることはもちろんですが、合併に至るまで様々な紆余曲折があったためです。元々伊達郡の合併は「伊達はひとつ」という合い言葉の下、郡内の9町全てが伊達地方任意合併協議会に参加して始まりました。それが法定協議会に移る際に川俣町と飯野町の2町が抜け伊達7町合併協議会となり、その後、協議が進む内に桑折町が抜け(伊達6町合併協議会)、更には国見町が抜けて5町となりました(伊達5町合併協議会)。合併特例法の期限も迫り、もうダメかと思ったことも一度や二度じゃありません。それでもどうにか昨年3月に合併協定調印式を行い、5町議会、県議会での議決を経て、8月に伊達市が誕生することが官報告示され、今日の合併に至りました。
ちなみに合併を行わなかった伊達郡の4町のうち、川俣、飯野の2町は福島市との合併を目指して協議を行っています。個人的な意見ですが、今回合併を行った伊達市もいずれは福島市との合併が必要になってくると考えています。何と言っても伊達郡は福島市無くしてはやっていけませんから、最終的には「伊達はひとつ」ではなく「信達はひとつ」を目標に1つの市として合併することになるんじゃないかと(信達=信夫郡(福島市)+伊達郡)。
南相馬市の方はこっちこっちで色々とあり、合併に加わっていた飯舘村が途中で抜けたり、新市名が変わったり(当初はひばり野市になる予定)といった経緯を経て誕生しました。こちらもいずれは相馬地方の広域合併という話が出てくるんじゃないかな〜と予想しています。
何にしても、どちらの市も将来の広域合併に備える意味でも、行財政のスリム化を行って健全な財政運営に努めることを期待しています。
投稿者 sai : 00:41 | コメント (0) | トラックバック
昨年の振り返りと今年の抱負
あけましておめでとうございます。新年1発目のエントリーということで、昨年の振り返りと今年の抱負などを書いてみたいと思います。
昨年1年間を振り返ってみると、やはり就活のことが一番思い出深いです。2月から本格的に就活が始まって、3月は各社の説明会に参加、そして4月から筆記試験やGD、面接を幾度となく繰り返しました。こう言ってはなんですが、ここまで苦労するとは思っていませんでした。そりゃ、年齢のこともありますし、二度目の就職ということもあるので多少は苦労するとは予想していましたが、うまくいけば4月中には終わるんじゃないかな〜と考えていたわけです。その考えがいかに甘かったのかは、すぐに気付かされましたが……。
就活以外のことだと、当然研究活動に一番時間をかけたわけですが、なかなか満足行く結果は出せませんでした。それというのも11月末に発表しようなんて先生が言い出すから……。おかげで10月、11月をその準備で費やすこととなり、必然的に実装を行う時期が2ヶ月シフト。結局、今日に至っても実装は不完全で、最低でも1月の半ばまではかかりそうです。本当は1月はすべてテストに充てるつもりだったのにな〜。こうなると、実装しながらテストを行わなければならず、その分完成度は下がるでしょうね。まあ、売り物を作るわけではないので、修論発表までにある程度のものを作れればいいでしょう。
今年の抱負ですが、院を修了するのは当然として、その後就職するc社でうまくやっていくことに尽きます。上で就活に関する不満を書きましたが、それだけ苦労した上でせっかく決まった会社ですから、c社に骨を埋めるつもりで頑張りたいと思います。……また転職しないとも限りませんが。
そうそう、最後にこのサイトの運営について。唐突ですが、3月で閉鎖しようかな〜と考えています。一番の理由は修了後、しばらくネットワークから隔絶した生活を送ることになりそうだからです。それだけならば、その間更新を停止すれば済む話ですが、実は前々からそろそろ止めてしまっていいかなと考えていました。前身のサイトも含め、1999年から7年間も続けてきたことなので惜しい気もしますが、就職というのは区切りとしていいタイミングなのではないかと。まだ明確に決めたことではありませんが、3月になって突然書くのも何なので今のうちに予告しておきたいと思います。